幻のすもも「貴陽」を育てる【望月さん】

井上誠耕園の新たな取り組み「ジャパン・グッドファーム・ネットワーク」の商品として販売するジャムやコンフィに使用する、幻のすもも「貴陽(きよう)」を作っている農家さんのもとへ取材に伺いました。山梨県でも数少ない「貴陽」を育てる、山梨おいしい果物園 望月さんにお話を伺いました。

幻の大玉すもも「貴陽」
朝5時のまだ薄暗い畑で貴陽の収穫は始まります。この日訪ねたのは、望月さんが持つ畑の中でも一番古い畑。望月さんは、樹齢30年近くになる貴陽を守り育てています。畑に足を踏み入れてまず驚いたのはその樹の大きさでした。すももとは思えない巨木で、3~4mあります。幹はずっしりと太く、根本からぐるぐるとねじれ、神々しささえ感じる出で立ちです。「なんでねじれるのかは分かんないんですよね。若い木はねじれてなくて、10年くらいするとねじれてくる」と望月さん。樹を見る目は親が我が子を見る目のように優しさであふれています。

貴陽はすべて手で収穫します。山梨県のほとんどの農家が持っているという収穫の足場を自在に操れる機械に乗って、ウィーンと果実の近くまで移動すると、すっと上を見上げ、手早く収穫ハサミで果実を一つひとつ見定めながら手作業で収穫していきます。収穫は基本二人体制で、いつも望月さんは一人で畑を管理していますが、収穫のときにはアルバイトのお手伝いさんに来てもらって、パチンとハサミで獲った果実を隣で受け取ってもらいます。「貴陽は吊るさんとうまくないんです」樹上で完熟させないと、貴陽の味にならないそうで、赤くきれいに色づいた実だけをどんどん獲っていきます。だからこそ、果実の足は早く、落果果実も多くなることが生産者の少ない一因でもあります。一瞬で旬がきて、ほんのわずか一週間ほどしか収穫ができない幻の大玉すもも、それが貴陽なのです。

「大きい貴陽は間違いなく美味しい」

「これ食べてみてください」手渡してくれたのは、野球ボールほどの特大果実。早朝の畑でガブリとほおばった瞬間、果汁がドバドバッとあふれ出ます。「甘い!」果実はハリがあるのにやわらかくてジューシー。薄皮で舌ざわりがよく、濃厚な甘みと酸味のバランスも抜群です。「おいしい!」とほおばる私たちを見て「うまいですよね」と望月さんも笑顔。貴陽に誇りを持っていることが伺えます。「こっちも食べてみてくれませんか」と渡されたのは、先ほどより少し小ぶりの果実。「うん!こっちも美味しい。でも大きいのと皮の厚さが違いますね。大きい方が皮が薄くて甘みを感じやすいかも」と言うと、なるほどと納得の表情。「これくらいのサイズ(小さいサイズ)のは自分ではあんまり食べてなくて、感想聞きたかったんですよ」という望月さん。貴陽は大きいサイズになればなるほど希少で価値が上がります。柑橘では大きいと大味になることもありますが、貴陽は大きいほど甘みが強く感じられて食べ応えもあり好まれます。「大きくてまずい貴陽はまずない。小さくて酸っぱいっていうのはあるかもしれないけど、大きいのは間違いなく美味しい。大きいのはそれだけ栄養がいって大きくなってるってことだから」と望月さん。


「農業ってなんか面白い。なんとなくやめなかったんですよね」
場所を移し、ラジオの音楽が中から流れる望月さんの自宅兼作業場におじゃましました。窓には注文を受けたお客様の名前が付箋でびっしり、大切に貼られています。貴陽を収穫するときにかごに敷くクッションは、忙しくても毎日洗っているそうで、無数のクッションが干されていました。収穫期の今は目まぐるしい忙しさですが、作業場を見るだけで望月さんの仕事への丁寧さが感じられます。
望月さんと貴陽の出会いは、望月さんが前職で企業に勤めて農業をしていたときです。それまでは製造業で作業着を着て、液晶パネルを作っていました。パネルの製造拠点が中国に移ったことでリストラにあい、就職活動中に同級生から「農業やってほしい」と依頼されたことをきっかけに農業に足を踏み入れます。34歳のときです。このときの望月さんは、農業は全くの未経験。これまでミスなく同じ作業を繰り返すことを求められてきた製造業と打って変わって、農業はすべてが手探りで毎日が新たな発見でした。慣れない仕事で一年目にはヘルニアになり、病院に通いながらも畑に出ました。「なんとなくやめなかった。農業ってなんか面白いって思ったんですよね」と当時を振り返ります。「教えてくれる人が誰もいなかったんですよ。だから自分で本読んだりして試したり。初めて育てたラフランスが、教科書通りにやっただけなんだけど、社長にすげえコレコレ!って褒められたんですよね。それが嬉しくてのめりこんでいった」手をかけた分応えてくれる作物に魅せられて続けるうちに、望月さんはその会社の専務にまでなります。

その中で貴陽にも出会いました。調べると必ず出てくる貴陽の生みの親・高石鷹雄さん。すでに亡くなっていましたが、息子さんが跡をついでいることを知り、知り合いの知り合いといったつながりが縁を呼んで、息子さんと仲良くなることができました。今も農業について教わることが多いそうです。貴陽は、親の品種「太陽」の「陽」と、高石鷹雄さんの息子・マサキさんの「貴」から名付けられています。偶然生まれた大玉すももで、高石さんがかける情熱は熱く、「貴陽は本当にいいものだから、できるだけ吊るして美味しくなったものだけを世に出したい」とロス率が高くても妥協せずにいいものにこだわるが故、生産量・生産者ともに少ない知る人ぞ知る果実となっています。
望月さんは、勤めていた会社が観光業に舵を切ったことをきっかけに、やっぱり自分はサービス業じゃなく農業がしたいと独立します。もともと企業で育てていたラフランスと貴陽の畑をそのまま借りて受け継ぎ、ブドウを新たに植えてスタートを切りました。独立して6年になります。果実はすべて自分で販路を開拓し、はねだし(傷物)はウェブアプリなどを駆使しながら生産から販売まで行っており、自分で全てやってきた努力の人です。

「貴陽がこの世の果物の中で一番うまい。単純に好きだから作ってる」
育てるのが難しく、旬はたった一瞬であるため、収益化もなかなか難しい貴陽。生産者が減っていく一方で、望月さんは新しい苗を植えながら改植を続け、減らそうとは全く思っていません。どうしてそこまでして、貴陽を守り育てるのか聞いてみたところ、「貴陽を守りたいとか、そんなきれいごとは好きじゃないんだけど、この世の果物の中で一番貴陽がうまいと思ってるんですよ。ただ単純に貴陽が好き。だから作っている」と目を輝かせて話してくれました。そんな純粋でまっすぐな気持ちが生むこの奇跡の美味しさは、一度食べると忘れられない味わいです。