「農は国の基なり」


「農は国の基なり」

井上勝由、智博 昭和の初期、井上太子治(いのうえたすじ)は宮大工の仕事をする一方でそんな事を言い始めました。
 私たちが暮らす小豆島町・池田字北地、(いけだあざきたいじ)太陽の光が良くあたる南向きの斜面を見上げて「この大地を活かさずしてこの地域の繁栄はない」と言って他の人達にも呼びかけ雑木林の開墾を始めたのが私の祖父です。
  雑木林を次々と開墾していく中でしっかりとした農業経営をやらねばと考えたアイデアマンの爺さんは伐採した木々が勿体ないと思い考えついたのがお風呂屋さんでした。当時この地域にはお風呂屋さんが無かったこともあり、伐採した木々をお湯を沸かせる燃料にしてお風呂屋さんを始めたのです。
  また一方では畑で出来た野菜の価値を上げるために「ここを漬物の産地にしよう」と言っては京都までお漬物の勉強に行ったり、はたまた小豆島の農家では冬の農閑期にはお素麺を作る家々があったのでそれを島外へ売って回るなどあれこれと夢が多く、そして思いついては東へ西へと奔走していたようです。しかし、残念ながらそのどれもが長くは続きませんでした。でも常に陽気で明るくて前向きな爺さん、そんなことでいつも周囲の人たち、特に嫁さんであるお婆さんは毎日がはらはらどきどきの連続で大変苦労をしたようです。

 そんな爺さんでしたが、考えることはいつも自分の事より地域の繁栄や人の幸せを願ってのこと、だからお婆さんもどこか誇らしく、苦労しながらもついていったのでしょうか

 昭和15年、当時では珍しい蜜柑の木を爺さんは一本だけ手に入れ、開墾したその地に私の伯父・井上芳郎(いのうえよしろう)と一緒に植えました。
  時は紀元節2600年「芳郎!記念すべきこの年にこの木は植えられた、有難いことや」と言った親父さんの言葉が今でも忘れられない、「井上誠耕園の創めての蜜柑の木は私が植えたので頑張って大切にして欲しい」って昨年亡くなった芳郎伯父さんは東京で暮らし、故郷の家を守る親父や私によく励ましの手紙を送ってくれました。その文中によく書き綴っていた詞です。

 井上誠耕園のオリーブの歴史は太平洋戦争が終わった翌年昭和21年、戦地から帰ってきた三人の伯父さんたちが家のすぐ裏のどんぐり林を開墾し、そこにオリーブの木を植えたのがはじまりです。
  ちなみに親父(二代目・勝由)の兄弟は親父を含め5人の男と二人の女の子の7人兄弟で、親父は5番目の男の子として育ちました。すぐ上の伯父さんは幼い頃に腹膜炎を起こし、そのまま亡くなってしまいました。
  後の三人の伯父さん達は太平洋戦争に出兵し、終戦後みな元気に帰ってきました。爺さん、婆さんは元気で帰ってきた息子たちを迎え大変嬉しかったのですが、近所には戦死された方や負傷された方もあり、もろ手を挙げて喜べる時代ではなかったようです。
  そこで元気に帰ってきた伯父さんや親父達によって爺さんの掛け声の下、オリーブが植えられたのです。

 太平洋戦争が終わった翌年、井上家に創めて植えられたオリーブの木、平和と繁栄の象徴と言われるオリーブ、当時はこの木にまつわるそんな物語も爺さんは知らなかったと思うのですが、太子治爺さんは何を想ったのでしょうか

 畑仕事をしていた三人の伯父さん達、しかし現実の農業はそんな甘いものではなく、次々と東京へ新たな仕事を求めて島を離れていきました。
 学生だった親父も伯父さん達の後姿を見ながら都会に憧れ、いつか自分も島を出て行こうと思っていたそうですが、心細くなったお婆さんに止められました。

 やがて皆で植えたオリーブの木々たちが大きく育ち始めた昭和30年頃、親父は近くの農業試験場にオリーブの加工方法を勉強に行き、やがて収穫できたオリーブの果実を自分で試行錯誤し、各種の製品を作り始めたのです。
 その当時ちょうど小豆島への観光客が年々と増えていたので出来たその製品を、お土産品として売り出そうと考えました。そんな時に開墾してきた園地に名前をつけようと思いたったようです。
 爺さんは親父の名前が勝由(かつよし)なので一字を取って勝由が耕して行く園地だから、井上勝耕園(いのうえしょうこうえん)と提案しました。

 その夜親父は布団のなかでふと考えたそうです。
 考えてみれば本当に大自然というのは有難い、太陽はだれかれと分け隔て無く無償で光をくれる、時には雨が降りかけがえの無い水を私たちに与えてくれる、そしてその恩恵を受けてオリーブや蜜柑の木々たちは自分たちと固い約束したかのように毎年決まった時期に花を咲かせ、やがて果実を実らせてくれる。なんとも有難い、この自然に対して強い感謝の心が湧いてきて、神様がこんな有難いものを与えてくれているのだからこの事に心からの感謝を込め、これから常に誠実な心を忘れず、大地を耕し、そして皆さんに喜んでいただける農産物を作り育てる園でありたい、との願いを込め井上誠耕園と名付けました。

 そして今、ここ数年島の各所でまたオリーブがよく植えられはじめましたが小豆島の田畑はまだまだ年々と休耕地が増えています。私が小さい頃に遊んだ野山の景色はだんだんと変わりつつあります。
 菜の花が咲いて、青りんごが実って、すももや蜜柑、そしてオリーブ、畑と畑の間を通っていたあぜ道が雑草と雑木に覆われています。親父たちと一緒に農業を営んでいた人達も次々と高齢の為、農業が出来なくなってきました。
 私は思います。昔から人が関わっていない野山はもう触らなくてもいい、でもせっかく先人の人達が現代のように大型重機も無い時代、額に汗して開墾してくれた畑をこのまま荒らしていくのは非常にもったいないと思うのです。
 だから私はこれからも出来る限り荒れて行くこの島の田畑を守っていきたいです。

 昔走り回った段々畑にもう一度オリーブや蜜柑、そして様々な果実を植え育て、その恵から多くの皆様に、いつまでも喜んでもらえる産物を作りお届けさせていただきますことをお約束すると同時に、ここ小豆島にたくさんの方々がお越しになり、島の穏やかな風景のなか、自然の有難さやその素晴らしさを島の人たちと共に感じ感謝し、そして共に喜びを分かち合える園を創って参りたいと想います。
 まだまだ親父も元気、個性豊かな素晴らしい仲間達も集まってきました。
 これからも益々頑張ってまいりますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

井上誠耕園
三代目園主 井上智博


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